こんにちは、kokokakuです。
今日は、9年ほど前に書店で出会い、ひとめぼれして購入した、
『般若心経絵本』 について書いていきたいと思います。
【目次】
仏教とは私にとっての何?
- お仏壇に花やお供え物をお供えして、マッチでろうそくに火をつけ、お線香を立てて、正座をして手を合わせる。ろうそくの火は息を吹きかけず、手のひらを振って、その風で消す。小学生の頃から、なぜかそういう一連の動作によって、心がきれいな人になったような気持ちになる。
- 4年生で、初めてお寺での法要に参加した時、非日常的な建物や装備品、空間やお坊さんの袈裟、そして般若心境に触れ、不思議な感覚を肌で感じ、般若心境が書かれた紙を持ち帰った。
- そして20代前半、当時『禅』に詳しく、出家まで考えたことがあるという夫に影響され、母と、『曹洞宗大本山 永平寺』が含まれた金沢ツアーに参加して感動。
- 20代半ば、小田茜さん演じる小学校の先生と、陽春さんという禅寺の修行僧が純愛を貫く昼ドラ『ピュアラブ』にはまる。ドラマ30 ピュア ラブ 公式ホームページ
- 夫から繰り出される『禅語』と、その意味を聞くと、萌える。禅語フェチ。
私にとって仏教とは何物?
『般若心経絵本』との出会いとその内容
とはいえあまり深く考えることもないまま30代でこの本に出合った。
「そういえば、お経って何なのか、考えたこともなかったな・・・」と思いつつ、全ページに丁寧なでほっこりした絵が描かれている“絵本”というコンセプトにテンションが上がり、「これほしい!」と買ったのでした。
この本は、『般若心経』の成り立ちをプロローグで、そして、『観自在菩薩』から始まるひとつひとつの言葉を、丁寧なイラストと、易しく温かい文章で、その意味を教えてくれています。
ものすごく簡単に言ってしまえば、『般若心経』は、お釈迦様の、迷いから悟りまでのストーリーだったのだと理解しています。
そして、そのストーリー(過程)には、私たちがいかに欲望に囚われ、縛られ、恐れ、そういったものが心をさまたげているか、そのような事実と、それらはまぼろしであるという真実が描かれているわけです。
『般若心経絵本に描かれている真実』
で、最後が感動なんですけど、こういう展開になります。
ネタバレになると思いますので、本で読みたい方はご注意下さい。
赤ちゃんは泣いてお母さんを呼びますよね。
「さみしいとき、お腹がすいたとき、おむつがぬれたとき。するとお母さんはきっとすぐにかけつけてくれる」
「赤ちゃんはお母さんに抱かれて、顔を見て、おっぱいを飲んで、ほんわかして安心する」
つまり、“ハンニャハラミツの大海”と表現されている大いなる存在は、「一人の大きな大きなお母さん」
「般若心経に説くマントラは、この大いなる母、ハンニャハラミツを呼ぶマントラ」
じつは私たちは、その大いなる母に抱かれているのだけど、それに気づかずに欲望に従い、見失っている。
だから呼ぶしかない。赤ん坊がただ必死にお母さんを呼ぶように。
その呼びかけのことばが般若心経のマントラ。
それはただ言葉を口で唱えるなどというものではなく、わたしたち人間にとってその全存在をかけた絶対の行為。
きっと、わたしたちが迷い苦しむ時、それは欲望からくる恐れを握りしめている。
苦しくてどうしようもない時、赤ちゃんのように救いを求める。
握りしめていたものを手放し、救いを求める時、わたしたちは大いなる母のふところに飛び込むこととなる。
すべてをあずけ、すべてをまかせた時、その苦しみから解放されるということだ、
と理解しています。
こういう時に読みたい
『自分を見失って地に足がつかない時』
『寂しくてたまらない時』
『涙や感情が溜まっていて解放したい時』
『心を落ち着かせたい時』
『悩みや迷い、不安、恐怖で苦しい時』
最後に
書評にこの本を選んでよかった。
今すごくそう思いました。
私が仏様や仏教にまつわることになぜか惹かれてきた理由がはっきりわかったから。
『心』だ!って。
成長する過程で、歪み、濁り、醜くなってしまいがちな心だけど、それでも、『清らかで、純粋で、真っすぐな心』でありたいという願いから、そういう世界に惹かれたんだって。
『般若心経絵本』、泣けますよ。
涙で心が洗われます。
よかったら、是非手にしてみて下さいね。
ではまた。最後までお付き合いくださりありがとうございました。