『毒親』がリアルタイムで話題になってます。
チャンスです。
『毒親』について言いたいこといっぱいあっても、賛否両論、すべての読者さんにとって気持ちいい話題じゃないのでは、と思うと触れにくかったのです。
だから、今このチャンスを逃すまい。
乗っかって記事にします。
『毒になる親』を読んで思った。「みんな毒親じゃん」
「みんな毒親じゃん」
これは以前、毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫) を読んで、「毒親」を意識するようになった私が、たくさんの悩める人たちのカウンセリングを重ねてきて思ったこと。
「毒になる親」はアメリカの家庭のことが書かれているので、毒の質が日本とはすこし違うんですよね。
アメリカはわかりやすい毒。
日本はわかりにくい毒。
なのです。
で、どうして「みんな毒親じゃん」、と思ったかというと、日本は序列の国だから。
上と下があれば、支配と依存の関係ができあがる。
厄介なのが、やたらと『良妻賢母』が女性の鏡!っていう風潮の国なので、一見美しい、わっかりにくいコントロールが行われるところ。
しつけ上手、教育上手のお母さんじゃなければ“愚かな母親”なんてレッテルが貼られてしまうのでは、国全体が「毒親」を育ててしまう結果にだってなりますよ。
おかげで私も。自分に「毒親」の毒が脈々と流れていることに気づいた日にゃぁ、ってかんじでしたよ。
「子どもより大人が上だよ。子どもは大人の言うことを素直に聞くものだ」
「親は子どもよりなんでもできて、何でも知ってるんだよ」
「親は子供に社会性を身につけさせて自立させないといけないんだ。だから「しつけ」をするのだよ」
もう、これだけで子どもは口も感情もふさがれる。
だけど、親としてはある程度コントロールしないと、子育てなんてほんと大変!
ところが、その“ある程度”が問題で、子どもにとっては“ある程度のしつけ(コントロール)”や“期待”が、重~い圧力だとか、意に反して深~い心の傷だとかになってしまっていることがあるのです。
あるんですっっ!!(´;ω;`)
というふうに、子ども側が「お母さんなんて!お父さんなんて!」「わたし(ぼく)の気持ちわかってない!」って思えば「毒親」。
子ども目線で見れば、ささいなことでも「毒親じゃん」ってなるわけです。
だから「みんな毒親じゃん」ってなったのですね。
幸せになるために生まれてきたんだよね
ちなみに今回の話題のきっかけになってる本では、「ダメな子」的な、劣等感を植え付けるような親の言動が描かれています。
「いえいえ、うちの子が悪いんですよ」
とか、
「うちの子なんて」
みたいな、ただただ普通に見える「謙遜」が、呪詛となって植え付けられてる、そしてそれは受け継がれて繰り返されるというもの。
カウンセリングを必要とされる方の場合、「そんなの序の口」って思うんじゃないでしょうか。
わかりやすい毒だった場合の方が、「なんて親だ!」と思える点では、反発もしやすいではありますよね。
大変なのは、「立派に子育てした、必死だったのよ、感謝されて当然じゃないの?」って思ってる方。
どちらにしても、娘世代は毒抜きして「脱・毒親」できる可能性は十分にあるけれど、年配の母親世代はホントに難しいデス。
毒親本、いっぱい出てますし、それを親に送る“娘たち”もいっぱいいますけど、やればやるほど傷はえぐられるばかり。
そういうクライアントさん(娘さん側)に対して私が行っているカウンセリングというのは、次のようなことがポイントになってます。
- ふたの下に閉じ込めてきた感情を十分に感じなおす
- そして、何が毒(悪影響)だったのか認識する
- 親や対人関係で悪影響を受けない関わり方を身につける
私たちは、幸せになるために生まれてきたのだと思います。
その、幸せになろうと歩む人生を奪われている、と感じるのなら、親孝行だとかに縛られなくていい。離れてしまったっていい。自分のために生きていい。そこに罪悪感はいらないからね!!
おわりに
ちなみにたっくさんのコメントにはすごいリアリティがあります。
みなさんはいかがですか?
人は何をきっかけに「親子関係」なんかの違和感に気づいていくものなんでしょう。
金曜の夜にも関わらず、重たい話題に最後までおつきあいくださりありがとうございました。