【究極の待つ子育てシリーズ③挨拶編】
こんにちは、kokokakuです。
ご訪問くださいましてありがとうございます。
さて、究極の“待つ”子育てシリーズですが、3回目のお話は
『挨拶』です。
7歳(小2)のたけるは、挨拶も独自のスタイルを貫いています。
これには、たけるのHSC的な気質の中の「慎重さ」や「物事や人の心を敏感に深く感じ取る」ところも関係しています。
個人差や環境によっていろんな違いがありますので、この点を頭に置いてお読みいただけたらと思います。
【究極】と題しているだけあって、わが家の例は極端だと思います。
けっして同じ【究極】をすすめているのではなく、極端な例とその結果を知ることで、子育てに『ま、いっか』と楽になってもらえる場面が増えたらいいなと思って書いています。
はじめて訪問してくださった方は、このシリーズのコンセプトをより深くご理解いただけるよう、こちら↓
に目を通されてから読み進めていただけたら安心です。
それではよろしくお願いいたします。
「おはよう」
私たち夫婦は最初から、たけるへの「おはよう」に、たけるが「おはよう」と返さなくても何も言いませんでした。
たけるは「おはよう」と返す時もあれば、スルーの時もありました。
スルーの場合、こちらからもう一度「おはよう」と言い直すことはなしです。
きっかけは「お母さんはしつけをしないで」という本
何でそうしたんだろう。
考えてみたらたしか、「お母さんはしつけをしないで」という本を読んで、『しつけの後遺症』の怖さを知ったからだったなぁ、と思います。
「挨拶」もしつけ(コントロール)のひとつ。
本人の意志を尊重し、要求はしない。
基本はずっとそこにあります。
「おはよう」はどうなった?
「おはよう」「いただきます」「ごちそうさま」「おやすみ」は、3歳の頃には自然と毎回必ず、自分から言うようになりましたよ。
特に「おやすみ」は盛大に、パパにもチューとぎゅーの儀式つき。
現在も、家庭内でのあいさつは欠かしません。
「こんにちは」は簡単には言わないゾ
さぁ、問題は「こんにちは」です。
つまり、家族以外の他人様が相手の場合ですね。
たしか2歳くらいまでは誰と会ってもご機嫌でした。
でも、抱っこされるのは絶対ダメで、ママから離れませんでしたね。
3歳くらいになると「こんにちは」と声かけられることも増えるでしょ?
たける、「こんにちは」は言いません。
ママも「ほら、こんにちはは?」と言いません。
ママが対応しておしまいです。
小さいうちはいいけれど
3歳くらいだとまだそれでもたいして違和感はありません。
でも、4歳、5歳となってくると、子どもに挨拶させるのが当然という空気を肌で感じるわけです。
「うちは子どもに要求しない」と決めているんですね。
すると見えてくるんです。
『大人の人にとって子どもってどうやっても目下の存在なんだんなぁ』って。
大人同志だと遠慮が働きますよね?
挨拶するかしないかなんて、場合によっては駆け引きです。
でも相手が子どもだと、望んでもいないのにグイっとこられ、時にはグイグイグイっとこられるわけです。
この上下観が人間の心の成長に及ぼす悪影響、実は大きいんですよ・・・(切実)。
挨拶を返さなければ
「あら、挨拶できないのね」
「しつけができていないのね」
的なレッテルの気配を感じる・・・。
あの頃はそんな気配が引っかかって、よくジレンマでモヤモヤしてたなぁ。
あの頃の自分とクライアントのママさんに言ってます。
「上からグイっと押し付ける感がある相手のこと、イヤだと思っていいんだよ。それは正直な反応だよ」と。
損することも多いかもしれないけど、まずは自分の軸はしっかりさせてた方がいいと思うしね。
たけるの正直な反応から、それに気づくことができました。
挨拶されたらどうしてた?
「うちの子は初対面では挨拶しない」
それがわかってて挨拶されるわけなので・・・、最初は身構えてしまっていました。
ぎこちない、気まずい空気になったこともあります。
その対処法として求められたのは、ママの開き直りです。
なんてったって、私の歴史は笑顔振りまく完全無欠の優等生。
その名残はしぶとく、相手の期待に応えられない罪悪感との闘いでした。
それでも次第に経験を重ね、たけるに挨拶されたり、話しかけられたりしたら、
「お返事の相手はママがやればいい」
という開き直りが出てきました。
幼い子どもはどうやったって大人にはかないませんからね。
「挨拶させなきゃ」という観念が根っこを張ってると生きづらい。
一方で、
「挨拶しないのは子どもの自然な姿。だから(小さい間は)相手は私がやる!」と思えばどんだけ楽か。
挨拶ってそもそも・・・
そういえばたけるが3歳の頃から5歳まで、たまに「子育て支援センター」に行くことがありました。
そこで気づいたのですが、子どもどうしって、始まりの時は挨拶しない、もしくは小さくするけど、お別れの時はホント盛大に
「バイバーーーーイ、バイバーーーーイ、またねーーーーー」
ってやるんです。
何度も何度も。
先生にも同じで、「おはようございます」は言ってもボソボソっと。
でも「バイバイ」は盛大。
そこに本人の心と意志を感じるわけなんです。
挨拶って、この「自然に湧いてくる意志」が大事なんじゃないかなぁ。
園ではどうだった?
一応、3か月通った幼稚園ではどうだったかも記しておきますね。
園では、決められたとおり、先生に褒められるくらい大きな声で頑張って挨拶していました。
そこには、先生への信頼があったのだと思います。
信頼する先生が必要としていることに応える、認めてもらえることを頑張るたけるでした。
でもそれは先生のため、秩序のため、もっと言えば、ママもそれを求めてしまっていたので、その期待に応えるためでもあって、挨拶への「心と意志」は別だったかなと思います。
「本当は嫌だ」って、それが本音でしたね。
「挨拶」、待った結果どうなった?
現在小2のたける。
挨拶しないと相手はどう思うか、それについては本人に話しています。
学校へは通っていませんが、年2回、教科書を受け取りに行くときはたけるも同行しますので、その時は
『「こんにちは」だけは言ったほうがいいかも。あとはまかせるね』
と言って行くと、ちゃんと挨拶しますし、先生から何か聞かれると、意外と堂々と答えます。
当たり前のことですが、ある年齢になれば、自分の行いが相手にどう映るかは自然と理解するものだということを実感します。
おもしろかったのが、「失礼します」と帰る際、元気いっぱい
「バイバーイ」
と言ったこと。
大人の概念にはなかった、学校での、先生への「バイバイ」がやたらと新鮮で、思わず先生と目を合わせてお互い「フフっ」と笑ってしまいました。
ちなみに家や外で初対面の方と関わる場合、たけるはじーっと観察しています。
心を許さない限り挨拶はしません。
そんな時は、
「慣れるまではお話しないんです」
とお伝えしています。
でもたけるは相手がどういう方かわかったら、何を聞かれても堂々と答えます。
おわりに
挨拶を促すことなく育った結果は、小2の現段階では、
「学校以外では、自分の意志に従って、自然と挨拶する・しないに分かれる」
でした。
いかがでしたでしょうか。
まだ小さいお子さんの子育て中もママにとっては、極端なわが家のやりかたそのままでは、園や学校で大丈夫かな、人からどう思われるかなと心配になるかもしれません。
実際に「世間の常識」と「子どもの個性や意志を尊重する子育て」はギャップが大きいのが現実です。
ですのでこれは あくまでも、たけるの『待ったらどうなるか』の結果をお伝えするものであって、それが子育て中のママたちの迷いやモヤモヤを吹き飛ばすきっかけになったらな、という思いです。
以上でした。
子育てが安心で楽しいものになりますように☆彡
さいごまでお読みくださりありがとうございました。