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前回までの内容
息子“たける”は、超がつく繊細で感受性の鋭い気質の持ち主。
入園の半年ほど前から「ママが一緒でなくては幼稚園に行かない」と言うたけるの気質に合った集団生活への移行方法を考えてきた。
そこで「慣れるまでは母親が園に付き添う」という方法を取らせてもらうことに。
入園後、園や先生に恵まれ楽しく過ごしていたが、隣接する小学校の校舎への移動の際に見せるたけるの様子から、今はまだ母親のサポートを必要としていることを再認識。
初登園から3週目、「行きたくない」が出てお休みしたことで、たけるからいろんな話をきくことができた。
“たける”のように、とても敏感で、繊細さや感受性の強さ・豊かさを生まれ持つ気質の子のことを、HSC(Highly Sensitive Child)と言います。
HSCは一般に、集団に合わせることよりも、自分のペースで思索・行動することを好みます。
これはその子の独自性が阻まれることを嫌がるほどの「強い個性」とも捉えられるのです。
またHSCは、「内気」とか「引っ込み思案」とか「神経質」とか「心配性」とか「臆病」などとネガティブな性格として捉えられがちなのですが、
「内気」「引っ込み思案」「神経質」「心配性」「臆病」な性格というのは、持って生まれた遺伝的なものではなく、後天的なものであり、それは過去におけるストレスやトラウマ体験が影響しているものと考えられています。
ほぼ5人に1人は、HSCに該当すると言われ、HSC自体は病気や障がいではなく、とても敏感で感受性が強く、かつ繊細さを持った生得的な気質なのです。
(*HSCはアメリカのエレイン・N・アーロン博士が提唱した概念です)
HSC・HSP(Highly Sensitive Person)の特徴
※個人差があり、当てはまるものや、その強弱は、人によって異なります。
また、HSC・HSPという敏感さと、HSS(High Sensation Seeking=刺激追究型)もしくはHNS(High Novelty Seeking=新奇追究型)という強い好奇心を併せ持っているタイプの子・人が存在しますが、ここではHSC・HSPの特徴について記し、HSS・HNSの特徴については触れていません。
①すぐにびっくりするなど、刺激に対して敏感である。細かいことに気がつく(些細な刺激や情報でも感知する)。
②過剰に刺激を受けやすく、それに圧倒されると、ふだんの力を発揮することができなかったり、人より早く疲労を感じてしまったりする。人の集まる場所や騒がしいところが苦手である。誰かの大声や、誰かが怒鳴る声を耳にしたり、誰かが叱られているシーンを目にしたりするだけでつらい。
③目の前の状況をじっくりと観察し、情報を過去の記憶と照らし合わせて安全かどうか確認するなど、情報を徹底的に処理してから行動する。そのため、行動するのに時間がかかったり、新しいことや初対面の人と関わることを躊躇したり、慣れた環境や状況が変わることを嫌がる傾向にある。急に予定が変わったときや突発的な出来事に対して混乱してしまいやすい。新しい刺激や変化を好まないのは、“刺激への馴れが生じにくいこと”の影響も大きい。
④人の気持ちに寄り添い深く思いやる力や、人の気持ちを読み取る力など『共感する能力』に秀でている。細かな配慮ができる。
⑤自分と他人との間を隔てる「境界」が薄いことが多く、他人の影響を受けやすい。他人のネガティブな気持ちや感情を受けやすい。
⑥直感力に優れている。漂っている空気や気配・雰囲気などで、素早くその意味や苦手な空間・人などを感じ取る。先のことまでわかってしまうことがある。物事の本質を見抜く力がある。物事を深く考える傾向にある。思慮深い。モラルや秩序を大事にする。正義感が強い。不公平なことや、強要されることを嫌う。
⑦内面の世界に意識が向いていて、豊かなイマジネーションを持つ。想像性・芸術性に優れている。クリエイティブ(創造的)な仕事に向いている。
⑧静かに遊ぶことを好む。集団より一人や少人数を好む。1対1や少人数で話をするのを好む。自分が交流を深めたい相手を選び、その相手と同じことを共有し、深いところでつながって共感し合えるようなコミュニケーションを好む傾向にある。大人数の前や中では、力が発揮されにくい。自分のペースで思索・行動することを好む。自分のペースでできた方がうまくいく。観察されたり、評価されたり、急かされたり、競争させられたりすることを嫌う傾向にある。
⑨自己肯定感が育ちにくい。外向性を重要視する学校や社会の中で、求められることを苦手に感じることが多く、人と比較したり、うまく行かなかったりした場合に自信を失いやすい。
⑩自分の気質に合わないことに対して、ストレス反応(様々な形での行動や症状としての反応…HSCの場合「落ち着きがなくなる」「固まる」「泣きやすい」「言葉遣いや態度が乱暴になる」「すぐにカッとなる」、「発熱」「頭痛」「吐き気」「腹痛」「じんましん」など)が出やすい。細かいことに気がついたり、些細な刺激にも敏感に反応したり、過剰に刺激や情報を受け止めたりするため、学校や職場での環境や人間関係から強いストレスを感じてしまい、不適応を起こしやすい。人の些細な言葉や態度に傷つきやすく、小さな出来事でもトラウマとなりやすい。
「たけるくんはなんで休んだの?」
たけるにとっては土日以外にあと1日お休みすることが大事。
それがわかって、週に1回くらい休むようになったけれど、そのことでひとつだけ気になっていることがありました。
それは他のお友達への影響です。
ある日、2人のお友達(なおきくんとゆきなちゃん)が私に尋ねてきました。
「ねぇ、たけるくんのお母さん」
「なぁに?」
「たけるくんはなんで昨日休んだの?風邪ひいたの?」
「なおきくん、ゆきなちゃん、気になってたよね、ごめんね。
風邪はひいていないんだよ。たけるが休みたいって言ったの。」
「風邪じゃないのに休むの?」
「そうなの。変と思うよね。ちゃんと説明しようね。
幼稚園はじまったばかりで、たけるはまだ慣れていなくてね、
ムリすると疲れちゃうんだよね。
それに無理やり行かせたら『幼稚園行かない』って言うと思うのよ」
「ふうん。たけるくんまだ慣れないの?」
「そうなんだ。たけるは保育園には行かないでずっとおうちにいたし、こんなにたくさんのお友達と一緒に過ごしたことがなかったから、みんなよりもすごく遅いスタートなんだ。
入園してから毎日初めてのことばかりで、『怖いな、イヤだな、心細いな』っていう気持ちと闘いっぱなしですぐ疲れちゃうし、まだ慣れていないんだよ」
「ふうん。・・・休んじゃダメって言わないの?」
「ふたりは言われる?」
「うん。休みたいって言ったらダメって言う」
「普通はそうだよね。私もそう思っていたんだよ。
だけどダメとは言えなくなったんだよね」
「・・・?」
「たけるの場合、どうしても無理って苦しくなりやすいし、それでも行かなきゃダメって言われると、だんだん心が壊れてしまうのがわかるの。
だから、たけるのことをママやパパが勝手に決めることはできないって思ってるの。
これからも慣れるまでたけるのお母さん幼稚園に来るし、お休みもさせてもらうと思うんだけどいいかな?」
「いいよ!」
「ありがとう」
子どもたち、たけるにだけママが付き添っていること、
ママが付き添っているのにそれでもお休みすること、
どう感じてるだろう。
私が子どもだった頃だって、お休みどころか、送り迎えすら「お母さんと一緒に歩きたい」なんて言えなかったし、そんなこと言って良いなんて知らなかった。
当時、もし私たちみたいな親子がいたらどう思ったかな。
私だったら…「あの子は弱いんだな、甘えんぼだな」って思っても、「私もそうしてほしい」という思考にはつながらなかった気がする。
でも「私も、ぼくも、そうしてほしい、休みたい」と思う子にはジレンマを与えてしまう。
きっと、こんな疑問を投げかけてくる、なおきくんやゆきなちゃんは、物事に疑問を持って、ちょっと深く感じ取ろうとする気質を持ってるのだろう。
先生や園長先生には快諾していただいたけど、子どもたちの気持ちを考えるとやっぱり少し後ろめたい。
私たち家族の選択が他の園児に与える何らかの影響について一体どういう配慮が必要だろう。
申し訳ないけど今は方法が見当たらない。
家に帰ったらパパとも話し合ってみよう。
「はーい、今日のお散歩は10時に出発です。今のうちにトイレを済ませておいて下さいねー」
覚悟
帰宅後・・・。
「ここ、読んでみて」
(信田さよ子さん…《日本におけるアダルト・チルドレン(AC)概念の第一人者、臨床心理士。原宿カウンセリングセンター所長》
信田さんの本は、ズバリ真実にメスを入れて、はっきり問題を指摘されるからスッキリする)
子どもの生きづらさと親子関係―アダルト・チルドレンの視点から (子育てと健康シリーズ)
P120-121より引用
少子化が叫ばれていますが、無理のない話だと思います。どう考えても親になることの困難さは増すばかりだからです。賢明な人ほど、親になることに躊躇するでしょう。かつてと違い、これからは親の姿勢、覚悟が厳しく問われるようになると考えるからです。昭和20年、30年代は、子どもを養い、大学まで出してやること、ちゃんと結婚させることが親としての責務をまっとうすることだったのです。しかし、21世紀の親にとってはまったく別の課題が与えられています。
子どもを飢えや貧困から守るという第一義の義務が後景に退いてしまった結果、もっと別のものから子どもを守るという役割が生じたのです。それは、社会の常識や規範、「ふつうであること」の強制から子どもを守ることです。
ふつうであることから逸脱しないようにひたすら調教し教導していく親なのか、それとも逸脱したわが子であっても、その子を守るのは親である自分でしかないと覚悟する親か、そのいずれかが厳しく問われる時代になったのです。つまり子どもを守るためには、世界を敵にまわせる覚悟のある親かどうかを問われる時代になったともいえます。
それを誰よりも見分けているのは、ほかならぬ子どもたちです。
子どもの生きづらさと親子関係―アダルト・チルドレンの視点から (子育てと健康シリーズ)
- 作者: 信田さよ子
- 出版社/メーカー: 大月書店
- 発売日: 2001/06/01
- メディア: 単行本
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覚悟はしている。
問題は守り方。
もう少し模索が必要だと思いました。
次回につづく・・・
(*この物語は、実話をもとにしていますが、個人名や団体名、エピソードの一部に変更を加え、事実と異なるところがあります。)
ー著書紹介ー
知らぬ間に受け継いだ「生きづらさの種」を取り除き、
本当の自分を取り戻す「読む子育てセラピー」本
『ママ、怒らないで。』を出版しています。