こんにちは、kokokakuです。
今日は、最終回のエピローグで少し登場した、3才前後当時のたけるとのお風呂での会話について、その時の会話そのままを書き留めた記録が残っていたので記事にしてみたいと思います。
生まれてくる前のはなし
「たけるは 何をするために生まれてきたの?」
「ママとパパにおしえるため」
「どんなことを?」
「ママとパパがわからないこと」
「たけるはどうしてなんでもわかるの?」
「なぜかわかるの」
「ママとパパのところに生まれるってたけるが決めたの?」
「かみさまだよ かみさまといっしょにきめた。
にげる子もいてね、かみさまがつかまえるんだよ。
そしてね、すべりだいでしゅ~っておりるの」
「逃げる子もいるんだ~」
「なく子もいるよ」
「え?泣く子もいるの?生まれるのがイヤだから?」
「そうかも。あとね、すべりだいがこわいから。
でもね かみさまがいっしょにすべってつれていってくれる」
「え?神様って何人もいるの?」
「うん」
「へ~、ひとりひとりに神様が?優しいねぇ、神様」
「うん」
「それで神様はいつお空に帰るの?」
「かえらないよ。
あのね、あかちゃんのときはあたまのところにいるの。
1さいになるとちょっと上、2さいはもうちょっとうえ」
「近くにいるんだ!それでたけるは神様が教えていることをキャッチできるの?」
「そう」
「神様ってお空にいると思ってた」
「あたまのなかがおそらだよ」
んんん?
「どういうことかな?
頭の中がお空で・・・お空は頭の中?
神様は頭の中のお空にいる・・・。
だから神様とつながってる・・・?
ということは、もしかして、大きくなると頭の中がお空じゃなくなっちゃうってことなのかな?」
「そうじゃない?」
「なるほど~~~。お空の神様と頭の中は、本当はつながってるわけだ!
それが大きくなるうちにだんだん離れていくんだね」
「パパはつながってるよ」
「え???(さすがに難解)
大人でもつながってる人いるの?
ママも頭の中がお空になって神様とつながれるのかなぁ」
「ママにはフタがあるから」
「フタ・・・。気持ち(感情)にフタしちゃうの中々治らないもんね。
あぁあ、どうやったらフタ無くせるかなぁ」
「おきゃくさん(クライアントさんのこと)といっぱいおはなしする」
「色んな人と向き合うことにチャレンジして、心のフタを取る練習をいっぱいやるってことかな」
「そう」
「そっか~、向き合うの、本当は怖いんだよね、きっとママは」
たけるは何をどうやって教えたか
これがたけるとの会話でした。
私たち夫婦が、“たける(神様?)が教えてくれている” と感じるのは、たけるの反応があまりにわかりやすかったからなのです。
例えば、誰かがきたり、どこかに出向いたりして誰かと関わる時、
ママがよそ行き顔になったらNo!
「あっち行こう、早く帰ろう」の応酬。
それ以上喋っちゃダメと言うかのように、口を押えることもありました。
他にも、ママがイライラしたり怒ってしまう時。
後になって、その怒りはママが誰かと関わった時に負の感情が湧いたんだとつながるようになっていました。
だけど、当時フタが重かった私は、相手が誰なのか、何に対して負の感情が湧いたのか、中々見つけきれません。
そんな時、関わった人の名前を書いて記憶を辿っていると、たけるがのぞき込みます。
何をしているか説明しつつ「ママのイライラは誰と関係してるかわかる?」と聞くと、たけるは迷いなくどれかを丸で囲むのです。
その答えは当時の私にとってはいつも意外でした。
でも、丸で囲まれた人との会話を思い起こしていると、「そういえば・・・」と実は何らかの反応が起こっていた言葉が見つかるわけで。
もちろんすべてをそのまま鵜呑みにするわけではないけれど、たけるは『魔法の杖』のように、私たち親にとって必要なことを指し示すのでした。
「頭の中がお空」?
それにしても「頭の中がお空」って、なんかすごい。
そもそもいったいどこからが空なのか?
そもそも神様はいるのかいないのか?
議論しても答えは人それぞれなのだけれど・・・
だけれど不可思議ながら、
妙にズドーンと腑に落ちたような気分でした。
生まれたばかりの時は頭の中も心の中も、何の歪みも濁りもなく、頭の中とお空(神様)に隔たり(フタ)がないのですよね。
でもきっと、生い立ちの中で、歪んだり、濁ったり・・・。
フタがないというパパと、フタがあるというママの違いはそこ。
パパは、自分に正直すぎて誤魔化しが効かないために、トラウマや傷をたくさん負ってきたけど、正直さを失わなかったからフタがない。
ママはフタをつくって嫌なことは感じなくしてきたぶん、本当の自分の気持ちがわからなくなって、あたふたしている。
フタをつくれば、傷ついたり、嫌なことは感じなくしたりできるけど、できればやっぱり透明で真っ直ぐで、自分の気持ちに誠実な人になりたい。
お風呂でのたけるとの会話は、そんなことを考えるきっかけを与えてくれたのでした。
さいごまでお読みくださりありがとうございました。