昨日、購読させてもらっているつま子さんのブログ記事を拝読していて、
身体が反応して固くなり、過去の体験が様々蘇ってきました。
つま子さんは、まだ答えが出ていないということでしたが、それ、もう本当によくわかります。
私の場合、何度も同じような体験を繰り返しても、嫌なパターンを繰り返してしまっていて、やっとのことでクリアした時、そこには想像を上回る勇気が必要で。
なるほど、中々答えは出ないはずだと思ったのを覚えています。
しかも、夫の助言なしには答えは出せなかったか、すごく時間がかかっただろうと思います。
私の経験が、同じように役に立つかは、人によって、状況によっても違うと思いますが、無駄にはならないとは思うので、ちょっと振り返ってみたいと思います。
突然呼び止められて動揺
あれはたしか、たけるが3歳になる前、
もう6年も前のある日ことです。
目的の量販店に到着するまで、チャイルドシートで寝ていたたける。
「たける、ごめんね、到着したから抱っこして行こうね」
寝起きのたけるを抱っこして店内へ入っていく時・・・
すれ違った誰かの声が、後ろから私に向かってきました。
「この子には水が足りておらん、水を飲ませなさい」
振り向くと、目が白っぽく、杖をつき、むっつりした表情のご高齢の方。
不意のことで状況が飲み込めず、動揺して、
一瞬でいろんなことが頭を駆け巡りました。
なになに? どういう意味だろう。
怪しい人じゃないよね。
見えないものが見える不思議な力を持った人? 霊能力者?
関わらない方が良い人なのかな。
でも何で? 知らない相手にいきなりあんな言い方する?
すごく嫌な気分。
わからないまま、買い物を続けました。
でもモヤモヤが止まりません。
このまま家に帰ったら大変なことになっちゃうよ、と焦りも。
大変なこと・・・。
そう。
たけるのママになってからの私は、ママになる前と違って、対人関係での違和感を誤魔化すことができなくなってきていたのでした。
誤魔化して蓋をして見ないように、感じないようにしたり、違和感を感じたまま答えを探さず浮遊させたりしていると、邪気のような負の波動をまき散らすかのように、家の中が見事に荒れるのです。
それはつまり私の心の中の投影なのでしょう。
例えばたけるだったら、
かんしゃくを起こす、何かにしつこくこだわってイライラさせ、怒らせるようなことをする、飲み物を何度もこぼす、意志の疎通が取れず泣きやすくなる、怪我をする
などで、
後は家の中がぎくしゃく不穏になりやすく、夫婦喧嘩など。
といった現象が、わかりやすく連動して起こるのです。
それがわかっていたので、毎回湧いた感情の意味や背景、そして「じゃあどうするのか」という答えを出す必要があったのです。
対人関係での違和感とは
では、対人関係での違和感とはどのようなものだったのか。
それはどれも、ママになる前の私からすれば、些細なこと。
ニコニコ笑って「そうですね~」で終わっていたことばかりなのです。
だけど、そこには『自分』が無かったのですね。
だから気にならない、気にしない。
生きて行く分にはそちらの方が楽です。
楽だけど、子どもを産み、育てる親になったことで、
『自分を失くしたままではダメ! “自分”を取り戻さないと、子どもの気持ちや感覚はわからないよ』というような促しが押し寄せたのでした。
優等生の良い子
もうひとつ、感情を抑え込む蓋が緩くなったのには、読書の影響もあります。
『ちゃんと泣ける子に育てよう 親には子どもの感情を育てる義務がある』
これらの本は私に、
しつけや、毒となる親の言動を跳ね返すことなく「優等生の良い子」キャラを選んで振舞ってきたこと、
そのために、自分の家族を持った今、自分だけでなく、家族を巻き込んで悪影響を連鎖させてしまっていることがある、
ということを気づかせ、問題に直面させたのでした。
どうしてうまく伝えられない?
それでも、対人関係で違和感を感じるのには、私の場合かなりタイムラグがありました。
それが、後にたけるが言った「心のフタ」。
最初の課題は専ら、『違和感にその場で気づくこと』でした。
それができるようになると、今度は『じゃあどうするか!』
目上のご年配の方に物申すのには慣れもなければ、潜在的に禁止事項。
自分の中で禁止してしまっていることに反する行いをするのには、無意識に抵抗が起こるし、罪悪感を抱いてしまうし、何より恐怖を超えるのに勇気を振り絞りすぎて、とても感情的な言い方になってしまっていたのです。
上下があると配慮がなくなる
さかのぼって、たける2歳の時。
買い物をしていると・・・、小さい赤ちゃんを抱いた若いお父さんらしき男性が、知り合いらしきおばあさんと会い、会話が始まるのを目にしました。
おばあちゃんが赤ちゃんを見て
「何カ月ね?」
「一才です」とお父さん
するとおばあさん、驚き、怪訝そうな表情で赤ちゃんを見ながら大きな声で、
「はぁ、あんた小さすぎるよ」と。
赤ちゃんはたしかに1歳にしては小さく見受けられました。
男性は適当に笑っているかんじでした。
客観的に見ていたこの出来事に、私の感情のタイムラグはありませんでした。
その場でとても不快、憤りを感じたのです。
小さいから何なの?まるで親を否定するような言い方。
早産や未熟児で生まれたのかもしれない。
もしかしたらとても大変な思いをして、泣いたこともあるかもしれないんだよ。
その後、私は上下のある対人関係の在り方について、すごく真剣に考えました。
『上下があると、配慮がなくなる』
その、不平等さ、対等性のなさに対する抗議が私の中にあったのです。
HSC・HSPの特徴
HSC・HSPには、
「子ども扱いする人や権威を示す人、権力をふりかざす人が極端に苦手」
「評価されたり、監視されたり、強要されたり、急かされたり、競争させられたりすることを嫌う傾向にある」
といった特徴がありますが、今思えば、そういう点では本来私にもそういう気質があったのかもしれません。
社会で評価を得ながら適応していくために不都合で、鈍らしていた気質が、反動をつけて、表に出てきたかんじです。
ほっといて下さい!私、おばさんにキレる
スーパーのおばあさんの件から数日後。
薬局で買い物中に、たけるがオムツの大きな袋を持ちたがるので、持たせて買い物を続けていました。
私とたけるの距離が少し離れた時、よろよろ歩くたけるを見ていたご年配の女性が、
「あんな重たいもの持たせて」と少し離れた場所からおっしゃいます。
立ち止まってずっと見続けられるので、嫌な予感がしてたけるを呼びました。
たけるが進み始めると、「あ、大丈夫?」と手を出そうとされます。
たけるは驚いて私に向かって走り出し、転んで泣きそうになっていました。
「あ、あ、ほら危ない」と大きな声で大げさにいうおばあさん。
そこで私、すぐに怒りが湧いたのです。そして・・・
「子どもが自分で持ちたがったので持たせたんです。
ほっといて下さい!」
と声を荒げました。
おばあさんはそわそわしながら無言で去りました。
でも、すぐに後悔。
何であんな言い方になっちゃったんだろう・・・。
帰宅して、夫に話をしました。
「ちょっといい? 私知らないおばあさんにキレてしまった」
「ほう(←明るい表情)」
「たけるがオムツ持ちたがるから持たせてたの。
私が少し離れた所で買い物してたらそのおばあさんがあんな重たいもの持たせてとか言って、立ち止まってずっとたけるを見続けてさ、私やだなと思ってたけるを呼んだの。
たけるが進み始めたらおばあさんが大丈夫?って近づこうとして、そしたらたけるビックリして走り出したの、そしたら私の手前で転んで。そしたらおばあさんがまるで私を責めるかのように、ほら危ないって。
思わず『子どもが自分で持ちたがったので持たせたんです。ほっといて下さい!』って言ってた。
こんなに他人にはっきりノーって言ったの初めて」
「そうだね。言えたのはよかったね」
「良かったんだよね。だけど、あの言い方はやっぱりまずかったな」
「今まで溜まってた反動だろうし、慣れていないからね。だけど、怒りの持ち帰りをせずに済んだじゃん」
「そうそう、お持ち帰りが一番ネックだったんだもんね」
「一歩家の外に出たら色んな人がいるからね。次こういうことがあったらどう切り返すか」
「そうだね。次こんなことがあったら何て言おうか・・・」
そうして考えて出た答えは、「尋ねる」 でした。
話は戻り・・・
話は量販店のおじさんに戻ります。
私はおじさんに違和感を感じつつ、もしかしたら関わらない方が良い人かもしれないし・・・と、その場を離れました。
でも蘇るのは「負の感情のお持ち帰り」。
イヤだイヤだ、おじさんと向き合おうとしなかったことで、家の中が荒れたり、たけるが怪我したり、私が怒ったりするのは絶対イヤだ。
私はたけるに聞きました。
「たける? ママ、さっきのおじさんに『イヤだった』って言っていい? ママ、このままおうちに帰ったら、きっと大変になるかもしれないから」
たけるはニッコリして
「うん、いいよ」
さぁ、おじさんの捜索です。
おじさん、店内にも外にも見当たりません。
「あぁあ、もう帰っちゃったのかな」
仕方なく車を出すと、ほどなくして、杖をついて歩道を歩くおじさんの姿を発見しました。
「おじさんいた! どうしよう、たける、いい? ママ、おじさんとお話するね」
と言って、空き地に車を停め、おじさんのもとへ。
「あの、すみません」
今度は歩道で突然話しかけられたおじさんがの方が驚いています。
「あ、あの、さっきはどうして水を飲ませなさいって言おうと思われたのですか?」
「尋ねる」作戦です。
「あ、あぁ、ぐ、ぐったりして見えたから」
「息子は車で寝てて、寝起きだったのでぐったりして見えたのだと思います。
車を降りる時、お水飲むかどうか、子どもにも聞きました。
でもいらないと言ったんです」
「あ、そうでしたか」
「突然すれ違いざまに言われたものですからびっくりしました。何だか上に立たれて命令された気がして。私、胸がうっ、て詰まったんです」
「ごめんなさい」
おじさんはすぐに両手を合わせて、詫びてくれたのです。
それから、
「自分には孫がたくさんいるけど、いつもこんなかんじで物言うもんで」
「そうですか、子どもは大人にはかなわないってわかっているから、圧がかかって胸が詰まっても、何も言い返せないですから。柔らかく尋ねて下さると助かります」
といった話を穏やかにして、笑顔でさよならしたのでした。
勇気を振り絞って超えた恐怖は、後からやってきました。
(怖かった~。私、やっちゃったかな? これで良かったのかな?
でも何だろう、この気持ち。
自分のこと、すごく誇りに思えるっていうか・・・これが自信!?
自尊感情ってこれのことかもしれないな。
一瞬、ホントに良かったの? おじさんはどう思われたかなって不安もよぎるけど、やっぱり間違ってない!
やっとできたね、よかったねって思う!
たけるにも、こんなに優しくできるし、こーんなに思いっきり遊びを楽しめてる!)
小さい頃は、自分を守る力もなければ方法も知りませんでした。
でも、大人になると、たくさんの能力が備わって、自分を守るスキルも身につけることができます。
そうすれば、力を持たなかった頃の、『心に傷を負うパターン』も、もう繰り返さなくてよくなるのです。
闘う必要も、厳しく物申す必要もない。
どうしてそう思われるのか、どうしてそうされたのか、『尋ねてみる』、
という方法で向き合ってみる。
そこでもし、相手の方が聞く耳を持って下されば、
さらに本当の気持ちやニーズを適切に伝えることができるでしょうし、
そうでなければ不快感を示しても良いと思うし、
危険と感じたら離れるという結果になるかもしれません。
いずれにしても、『質問する』という関わり方は、お互いに安全で、物事や相手の見え方に変化がもたらされる。
それを体験したのでした。
さいごまでお読み下さりありがとうございました。