『放てば手に見てり』という言葉があります。
禅語フェチな私が好きな、道元禅師の言葉です。
「欲望や執着から手を放した瞬間、本物の大切なものが自然と満ちてくる」
そうインプットしています。
失うことに恐れを持っていると、人は「失いたくない」と必死でそれを握りしめ、ずっとそれに固執して身動きがとれません。
手を放してしまうと「失う」もの、実は、そもそも最初から手の中にはないものなのです。
「失う」ものとは何でしょう。
答えは『幻想』だと思っています。
ある女性は、夫に愛されたいという欲求に支配されていました。
幼少期、親に満たしてもらえなかった彼女は、その満たされない欲求を夫に求めたのです。
彼女の「愛されたい」という思いは、「なんとしてでも愛されなければいけない。夫の心が私を認め、必要とし、私なしの人生なんてありえない、そう思うようになってくれなければ無意味。無価値。じゃあ、どうすれば夫をそういう気持ちに至らしめることができるのか」というもの。
彼女の彼への関わりのモチベーションは、すべてがこのようなしがみつきに基づくものでした。
つまり、彼女が行っていたのは、自分の望む、「欲求を満たしてくれる夫像」という『幻想』を現実のものにしようという『コントロール』だったのでした。
人は、このように『欲望』に囚われ、自己中心性で『幻想』に追いすがる時、我を見失い、傲慢に振舞うようになってしまします。
すべてを自分の思いどおりにしたいというスイッチが入りっぱなしになるためです。
その結果起こることは、思いどおりにいかないことばかり。
夫を呆れさせるような失敗ばかり。
人生の本来の目的を阻害するスイッチが入ったためなのです。
図らずも、言動や態度が、無自覚に傲慢になってしまい、夫を巻き込んで不快にさせている事実を決して認めようとしない彼女を、夫は受け入れられません。
認めたら、いよいよ失ってしまう。そういう思い込み(恐怖)に彼女は支配されているからです。
夫は、そんな彼女にどうしても拒絶が起こってしまいまいます。
その拒絶を彼女は敏感に感じ取り、夫に迫ります。
「どうして!私はこんなに愛しているのに!私がやることなすことのすべては、あなたのためなのよ!あなたのために、私こんなに頑張ってるのに、どうしてあなたは私を受け入れてくれないの?こんなの夫婦じゃない」
挙句の果てに、「抱きしめてほしい」彼女は言います。
勇気を振り絞って夫に訴えたその願いにまでも背を向けられた彼女は、怒りと憎しみ、そして「もう終わりかもしれない」という絶望を抱え、別室で泣き続けました。
泣き声と嗚咽を我慢したくなかったので、タオルを顔に押し当てて泣き続けました。
涙が涙を呼び、いつまでも止みません。
もう泣くのを止めよう。そう思って深く息をつくと、また込み上げてくる。
それを繰り返しているうちに、感情はますます高まり、彼女は
『ただ泣く』
いつのまにかそれに没落していました。
ふと彼女は思いました。
「あれ?泣き声がさっきまでと違う」
鏡を見ると、純粋で無垢に見え自分の顔。
その顔を見て、また感情が込み上げてきて泣く。
そうしているうちに、彼女の口からは次のような言葉が絞り出されました。
「お願い、愛して。うそでもいいから抱きしめてよ。私を邪魔ものあつかいしないで。
お願いだから無視しないで。愛してほしい、愛してほしいよぉ、お母さん」
「え?私今、お母さんって言った」
彼女は少し我に返ったあと、
「私、お母さんに愛されてなかったんだ。抱きしめてほしかった。笑顔で優しく受け入れてもらいたかったんだ。しょっちゅう怖い顔で、心がどこかに行ってて、無視されて、邪魔ものみたいにあしらわれて、つらかったんだ」
そう思いました。
そして、その母親への愛着と憎しみと欲求のすべてが夫に向けられていたことに気づいたのです。
彼女は、母親との間に葛藤があり、「母親は変わらない」それを実感していただけに、母親に求めて得られなかった『欲求』や、母親に抱いていた『幻想』は、もう手に入らない。その現実に気づきました。
果てしない喪失感を味わいながら、一方で彼女は思いました。
「もう求めなくていいんだ」
自由になった気がしました。
そして、夫にそのことを伝えました。
「私は、幼少期、とても寂しかったみたい。寂しいのを我慢して、いつかはお母さんに認めてもらって満足できる日がくるんじゃないかって、精一杯頑張っていたんだと思う。大人になっても。
でも、私がどんなに頑張っても、頑張るのは当たり前だって、お母さんはそう思っていたんじゃないかな。
私が頑張るのはお母さんのためだって、お母さん全然気づいてなかった。
私も、お母さんのために頑張ってるって思ってたこと、本当は自分のためだった。
だけど、いつまでたっても満たされない。
それを全部、あなたに求めてしまっていたんだね、私。
ごめんなさい」
彼女はとても楽になりました。
「自分は何も失ってない。むしろ、今なぜか心が満たされている。もしこれからも無自覚に『幻想』を握りしめ続けていたら、私は大切なものを失っただろう。」
そう思いました。
ちなみに、夫の目には彼女から、素直さ、純粋さが感じ取られました。
「抱きしめてあげたい」
夫はそういう気持ちになりました。
ただ、これまでの彼女の感情の起伏の激しさや傲慢さが残像として残っていたため、それを行動に移すのは、もうしばらく後のことになった、ということは付け加えておきます。
この話の、母親に対する思いや、それが伴侶に向けられるという構図は、関わってきたたくさんのクライアントさんに共通するものです。
【放てば手に満てり】
愛情だけでなく、仕事、お金、地位、名誉、権力、友人・・・人は失うことが怖くて握りしめてしまいます。
一向に結果が出ないこと、うまくいかなくて追い込まれていくことの多くは、執着し、握りしめているものが『幻想』であるためかもしれません。
途方に暮れて観念した時、意外にも、本当の大切なものが自然と満ちてくる。
そこには「自由」という未知の、真実の自分という存在があることに気づくかもしれません。
柔軟で少し強くなった自分です。
今日は、クライアントさんを通して思いをめぐらしたことを記事にしてみました。
最後までおつきあいくださりありがとうございました。