こんにちは、kokokakuです。
今日はまずある質問から始めたいと思います。
Q.見知らぬ親子が歩いています。その親子の子どもさんの方に、他の見知らぬ誰かが声をかけました。
「何歳?」
さぁ、子どもさんはどうしたでしょう。
①人懐っこい表情で「〇さい」と答えた
②はにかんで「〇さい」と答えた
③ママにうながされて答えた
④答えないのでママが代わりに答えた
⑤子どももママも答えない
ちなみにみなさんのお子さんはどのタイプでしょう。
いつも読んで下さっている方はもうおわかりかと思いますが、うちの息子たけるはほとんど④で、そういう時は代わりにママが答えます。
でも、印象はあまり良くないですよね。
それでも例えば「何歳?」などと聞かれた時に子どもが答えない時、いつ頃からか私はズバリ
「親が答えちゃって良い」
を基本的信条にしてきました。
たけるが成長過程で示す様々な反応から感じ取り、その都度話合いながら至った答えです。
印象はあまり良くないけれど、そこには大切な理由があるのです。
今日は、たけると同じようなお子さんがいらっしゃるママに、
- どうして私がそうするのかをお伝えすること
- 「人見知り」のネガティブイメージを払拭すること
で選択肢が増えて楽になってもらえたらいいなと思うお話をします。
挨拶(過去記事参照)同様、まさに世間の常識の枠とのギャップが大きい
『人見知り』編。
“待つ” ことだけでなく、今回は「親が代わりに答える」という
“守る(=回避)”行為
がプラスされています。
もちろん、子どもさんの個性や感受性、人との関わり方などの違いによって、人との関わりに対するママ・パパの考えや対応も違ってくると思います。
この【究極の“待つ”子育てシリーズ】、初めてご覧くださる方には、第一回目の記事にてコンセプトを理解されたうえで読み進めていただけると安心です。
答えなくていいと思うよ
たけるが5歳の時、ある観光地でカートに乗って移動していました。
カートには、3歳前後の男の子がいる一組のご家族と一緒になりました。
ほどなくして、運転士さんが運転しながらご夫妻に話かけたあと、男の子に声をかけました。
「お兄ちゃん何歳?」
男の子は返事をしません。
パパ・ママは男の子を見ています。
「お兄ちゃん、何歳かな」と再び運転士さん。
男の子、表情は明るいままで、落ち着きなく動き出し、返事はしません。
パパ・ママもまだ何も言わず男の子が答えるのをとりあえず待っている様子。
「何歳かなぁ、言えたらシールあげるよ」と運転士さん。
男の子の様子は変わりません。
結局男の子は最後まで答えず、パパ・ママは苦笑いしながらシールを受け取っていました。
さぁ、もちろん次はたける。
たけるも男の子以上に、話しかけられるのを嫌がる時期がありましたが、当時5歳のたける、この時はしっかり答えてシールを受け取りました。
でも、私の心は、男の子の様子から、たけるが嫌がっていた当時の心境が再現され、(お兄さんはお仕事、これはお兄さんなりの粋なサービスだから!)と思いつつ、
(お返事しないともらえないんだったらシールはいらないよ~)
という気持ちになりました。
「人見知り」で答えないことへのネガティブイメージが刺激されるのですね。
こういう時、うちではたけるに気持ちや希望を聞いたり、夫婦で会話したりしながら対応を考えてきました。
自分たちに軸をおいて考えた対応
大人同士の関わり方というのは遠慮が働くけれど、大人から子どもへの関わり方は遠慮がなくなりがちです。
子どもがどんなに嫌だ、怖いと感じても、子どもはうまくそれを表現できませんので、意に反してグイグイ入ってこられるという体験をすることがあるのです。
子どもはどうしたって大人にはかなわない、そういう現実を受け止め、
ある時は「じゃあママと一緒に言おうか」と言って「せーの」で答えたり、
ある時は聞こえなかったふりをしてごまかしたり
ある時はママの私が答えたり
といった対応をしてきました。
多分、さきほどのカートの場面だったら、「ママが答える」のパターンだったんじゃないかと思います。
そういう姿を見ると、もしかしたら
「子どもに聞いているのだから子どもに答えさせるべき」
「子どもに聞いているのに自分が答える親、いるんだよね」
そう思われるかもしれない。
頭の中でそんな声がしても、うちはうち。
「答えたくない」気持ち・意志を尊重してもらうほかない
「答えない」権利は子どもにもある
そう受け止めて、
「答えたくない時は理由があるのだから答えなくていい。そういう時はママが代わりに答える」
を約束し、実行してきたのです。
自信になるよ
自分たちの気持ちや考えを軸にして決めたことが実行できると自信になります。
そうしていくうちに、自分なりの信念とか、哲学が生まれてきます。
もうひとつプラスになるのはママのインナーチャイルド(幼く無力だった頃の自分)も、
『自分は自分でいい』
『感じたこと、そのまま表現してもいい』
『嫌なことは嫌と思っていい』
というメッセージを受け取り楽になれること。
すると不思議と子どもに対しても優しくなれます。
人見知りにはワケがある
そんなたける、
2歳くらいまでは誰にでもニコニコ
3~4歳頃は答えたり応えなかったり。
5歳のカートの時はしっかり答えましたが、答えない時もある。
6歳以降は、挨拶(挨拶編参照)と同じで、学校という場所でどう振舞うべきかは理解し、きちんと答えますが、それ以外では一見完全人見知り状態に見えると思います。
もう少し深く見てみると、たけるは鋭い観察眼で何かを感じ取るようです。
スーパーでも、人をよーく見ています。
結果、「大丈夫」と判断した相手だと、しっかり対応しますが、そうでない場合は無言だったり、場合によっては怖がる様子を見せたりします。
最近(7歳)でもスーパーでおじさんにいきなりほっぺをプニプニされて「嫌だった」と泣き出したこともありました。
たけるのこういうストレートな反応から、
「ひとりの人間としての尊厳」は何より大切なものだし、私たちひとりひとりにそれを守る権利があるのだということを認識させられます。
洞察してみる
ちなみにですが、このエピソードも深く洞察しましたよ。
おじさんは、子どもがかわいくてプニプニした。
悪気なんてない。
でもそれはおじさんの一方的な気持ちであって、された方のたけるはあまりにも嫌すぎた。
私の小さい頃は平気だった気がするだけに、たけるの気持ちをすぐには受け止めきれない。
とはいえ嫌なものは嫌、それが曲げようのない心の事実。
ほっぺプニプニなんて、相手が違えばしないこと。
(いや相手が違えば大変なことですね、セクハラとか)
子どもだからするんだよね。
でも、子どもは大人の癒しの道具ではない。
もちろん子どもさんもそれぞれだし、かわいいと思われることを嬉しく思い、声をかけられても、触れられても平気な子の方が多いかもしれない。
なので、ほっぺプニプニがすべての人や状況において問題ありとしているのではなく、それを嫌だと感じるクマノミくんの親である以上、
子どもも大人も男性も女性も差別なく、ひとりの人間として平等に対等に接することの重要性に、親である私が信念を持つことが試されている
といったふうです。
「嫌だ」と思うことは全然悪くない
ちなみにたけるの拒絶ポイントは、
「自分の心や領域に土足で入ってくる」
「考え・価値観を押し付けてくる」
「思いっきり子ども扱いしてくる」
関わり方、といったかんじです。
人見知り(や対人恐怖)は、それを敏感に感じ取る子(人)の反応でもあるのです。
これ、意外と私たち大人にとっても自分の尊厳を守るために必要な気づきです。
- 「嫌だ」と思うことや、そう思う子どもや自分が悪いのではない。
- 相手に悪気がなかったとしても、嫌だと感じさせる言動・価値観があったなら、それを認識してあげること。
お子さんがたけると同じような反応を示されるというママ・パパに、ぜひ参考にしていただけたらと思います。
おわりに
というわけで、「人見知り?」子どもが答えない・嫌がる時の対応は、第一に子どもの気持ちと意志を感じ取ったり聞いたりして、
- やさしく促すか
- 一緒に答えるか
- 見守るか
- 代わりに答えるか
のどれかを選択する。
相手の反応がどうであれ、子どもさんの気持ちを第一に尊重して選んだ対応に自信を持って良い、
ということです。
子どもは、必ず成長と共に、言語力、知力が身につきます。
それは自分を守る術を持てるようになることと同じです。
それまでは、子どもが必要とする手助けはしてあげていいのではないかと思っています。
以上でした。
子育てが楽しいものになりますように☆彡
最後までお読みくださりありがとうございました。
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