こんにちは、kokokakuです。
みなさんは小さい頃、保育園に行っていましたか?
記憶や聞いた話はありますか?
私は2歳になる前、母が3人目の出産を控えている時から数か月を2つ上の姉と一緒に保育園で過ごしたようです。
お昼寝の時間はお姉ちゃんと哺乳瓶がなければどうしてもダメだったのだとか。
お遊戯会的な写真には、ひとりだけ泣いている小さい頃の姿が写っています(´;ω;`)
私が行っているインナーチャイルドワークでは、
生い立ちの中の、記憶の片隅にあったことや
「あんなこともあったよね」という思い出程度の出来事が、
実はとってもつらく悲しいものだった
ということに気づく体験をします。
その中でも特に多いのが
- 保育園や幼稚園の時期の入園や園生活
- 下の子が産まれるので預けられる
- ママが仕事でいない
などといった「ママと離れる」体験です。
保育園入園の時のこと
息子クマノミくんが2歳になった頃、私もそろそろ本格的に仕事をして収入を得なきゃと考えました。
それはけっこう切実で、焦る気持ちもありました。
保育園を考え始めてからは、支援センターではなく、保育園の様子を見学させてもらったり、お散歩に参加させてもらったり。
クマノミくんもそれはとても楽しんでいました。
そして少しずつ、
「クマノミくんもみんなのように保育園に行きたい?」
とたずねるように。
「保育園は、ママと離れて先生やお友達といろんな遊びをするんだよ」
「時間がきたら必ずママがお迎えにくるんだよ」
という話をして、クマノミくんも楽しみにしているように見えました。
さて。
いよいよ1時間の慣らし保育が始まるという4~5日前からクマノミくん、便がまったく出なくなりました。
4月1日からの1時間だけの慣らし保育は、その状態で始まりました。
初日、預ける時も、お迎えの時も泣くことなく、無事にスタートできて一安心。
翌日。
すんなりバイバイしたものの、お迎えにきたママの姿を見て涙が一気に溢れました。
お別れした後は少し不安定になったそうで、1時間ずっと先生が抱っこしてくれていたそうです。
「まぁ、最初は誰でもそういうものだろう。頑張ってこの時期を乗り越えるしかない」
という思いで迎えた3日目の朝。
クマノミくんは不安げな表情で
「行かない」
と言いました。
はじめてママと離れて2日も頑張ったのだから今日は休憩して、明日からまた頑張ろうということでお休みすることにしました。
翌日、クマノミくんに元気がありません。
「今日も行かないの?」
ママは悲しくなりました。
クマノミくんは
「行きたくない」と言いました。
「困ったな・・・」
慣れるまでは仕方がないと覚悟はしてたけど、便がまったく出ないのはSOSだよね。
私の心は大きく揺さぶられました。
このままではいつまでも保育園に行けないと焦った私は、パパにヘルプを求めました。
「パパ、クマノミくん今日も行かないって。うんちも出ないままだしどうしよう」
追い込まれた私の気を感じながら、パパはクマノミくんに目を移しました。
パパの真剣な表情は、少し怖く感じられました。
ママに抱っこされたクマノミくんはそんなパパの目をじっと見ていました。
パパはクマノミくんから目を離さず一言だけ言いました。
「やめようか」
え!?
頭の中が真っ白になりました。
クマノミくん「・・・うん」
次の瞬間、張り詰めていた糸が一気に切れたように私の目から涙が溢れ出しました。
「ごめんね、つらかったね。良かった。パパがやめようかって言ってくれて良かった」
溢れだした涙と一緒に、ずっとずっと閉じ込めていた感情もどんどん溢れます。
「行かなくていい」
誰かがそう言ってくれることを待っていた自分の存在を感じました。
待っていたのは、人知れず無理して頑張っていた小さい頃の自分であり、いつも背伸びして頑張り続けてきた自分でもありました。
“あの日”の悲しみまで癒された感じがしました。
“あの日”・・・
たった一度だけ、当直明けで休みだった父が、幼稚園まで一緒に歩いてくれた日。
妹も一緒だったけど、私のためにお父さんが送ってくれることが嬉しくて嬉しくて。
その時間がそのままずっと続いてほしかったんだよね。
幼稚園が見えてきて、はじめてその気持ちに気づいたんだよね。
バイバイする時になって寂しさが込み上げ、もう我慢は無理でした。
大泣きです。
いつも元気で泣いたことなんてない私が泣き叫ぶ様子にびっくりの先生2人に引きずられる私。
苦笑いで振り返りながら妹の手を引いて帰っていく父。
ずっと笑い話のネタだったこの日のこと。
本当は小さい心が、
「絶対に思い通りにはならない現実」という絶望を体験した悲しい日でした。
だから夫の息子への対応は、
毎日休むことなく精一杯頑張ってきた当時の私にも、
「今日はおうちに帰ろうか」
と言ってもらえた気がして、涙が止まらなかったのでした。
そして、その日、やっと息子の便が出たのでした。
子育てを縛る不健全な『洗脳』
「幼稚園を休むのは甘え」
「休んではいけない」
「一度決めたことはやり通さないといけない」
クマノミくんを保育園に預けるという決断に、それを当てはめて、それに縛られていた自分に気が付きました。
これは子どもの気持ちに寄り添うことよりも、大人の都合や事情が大事にされているんだよね。
「子どものため」を名目として刷り込まれているから、とてもわかりにくい不健全な『洗脳』だね、と夫婦で話しました。
あの日、1日だけ休んでも、私は「もっと休みたい」なんて絶対言わない子だった。
1日休んでお父さん・お母さんと過ごせたら、次の日はもっと元気に幼稚園に行けたし、もっと親を信頼できた、そう思います。
私が体験した「絶対に思い通りにはならない現実」は、
クマノミくんに体験させる必要のないもの。
そんな体験は、誰かからさせられるものではなくて、
自分の意志や目的が働いてトライしていく中で、自然と体験することになるのだから。
成長の節目
保育園や幼稚園、小学校の入園・入学式が行われる時期になると、胸がキュンと締めつけられるような感覚がよみがえってきます。
息子のママとしての経験と、子ども時代の自分の気持ちの両方が入り混じって。
子どもさんが新しい園・学校生活に中々馴染まない子だった場合、ママは子どもさんの気持ちを思いながらも、
親として、ここで手を離さなければ・・・
自立の邪魔をしてはいけない・・・
と、引き裂かれるような葛藤を経験しがちです。
実際に、「親離れ」ができないのは、心配しすぎだからとか、育て方に問題があるなどの意見を見聞きすることも少なくありません。
ですが私はそうは思いません。
逆にそう捉える風潮がママたちにプレッシャーをかけ、焦らせることで、子どもさんの気持ちやペースを受け止められなくしていることの方が問題だと思っています。
私はカウンセラーという仕事柄、普通に生活しているように見える人たちの内面にある心の闇や、幼い頃の自分(インナーチャイルド)の声に日々触れています。
すると「親離れ」や「自立」の時期じゃないのにそうさせられたこと、わかってもらえなかったこと、わかってもらう方法がわからなかったこと、その時の気持ちがずっとくすぶって影響している(過去のものとなっておらずに未解決のまま浮遊し続けていて、そのことを気づかせようとしている)ことがわかってくるのです。
子どもは未熟で未完成な存在に見えますが、
感じる力や『純粋でありのままの自分を生きる姿』は、大人より優れていると感じられること、たくさんあるのではないでしょうか。
- 親から離れ、集団生活を無理なく楽しむ子
- 親から離れるのは平気、でも集団生活が楽しいわけではないという子
- 親と離れるのを嫌がる子
- 親と離れるのは絶対嫌という子
- 無理なく楽しんでいるように見えるけど、実は無理をしている子
- 行ったら行ったで楽しいけれど、本当はおうちでお母さんと過ごしたいと願う子
子どもさんがどれに当てはまるか、そしてママはどれに当てはまっていたか感じることも、様々な対応や選択の場面での判断材料のひとつになります。
子どもの本音を聞いたり感じたりすると困ってしまうこと、都合が悪いこと、いっぱいです。
ですが、特に6歳、できれば9歳くらいまでは、
未発達なところもたくさんあるだけに、個人差もダメージも大きいもの。
HSC(詳しくは後述)のような敏感で繊細な子だったらなおさら繊細な配慮が必要なのです。
【参考】心配してしまうママへ
すぐに心配になって葛藤してしまうというママは、ママの子ども時代の体験がトラウマとなっているかもしれません。
でもそれは決して悪いことでも、ダメな親でもありません。
そのような場合はあえて、子どもさんに起こるありのままの反応と向き合いながら、同時にご自身の子ども時代の不安や心の痛みに意識を傾けてみましょう。
トラウマとなった体験やその時の気持ちを感じなおすのは、ちょっと勇気がいるかもしれませんが、そこには置き去りになった『自分らしさ』『自分独自の自発的な意志』があります。
子どもさんの姿を通して子ども時代の自分を感じなおすことで、長い間失っていた、“意志を持った自分”を取り戻す可能性をグッと高められるのです。
◇人一倍敏感で繊細な子
クマノミくんは、敏感で繊細(HSC(Highly Sensitive Child)といって、5人に1人はこれに当てはまると言われている)です。
クマノミくんのように感受性が強く、人一倍敏感で繊細な子は、集団生活に馴染まず、それを強要されると大変苦しい思いをします。
保育園、幼稚園、小学校、馴染まず泣き続けたり、うつっぽくなったり、何かの症状が出たり・・・
そういう子どもさんの中には、集団生活という場所は適応しづらく、生きる場所ではないという子がいるのです。
大切なことは、『ダメージを強く受けやすい気質』であることを、ママ・パパがしっかりと認識しておくことです。
同じように、敏感で繊細な子は、きっと『育てにくい子』と感じられることが多いと思います。
なので、つい適応させなきゃ、遅れをとらないようにさせてあげなきゃ、と視野が狭くなりがちですが、『ダメージを受けやすい気質』であることを受け止められるとお互いに救われます。(HSCはトラウマを抱えやすいと言われているだけに)
魚にも海水魚、淡水魚と生息できる水の違いがあるように、人間だってイキイキと生きられる環境、弱ってしまう環境の違いがあるのは自然なこと。
そう思います。
◇子どもの気質に合った対応・選択肢があると安心
HSCに限らず、馴染めなかったらどうしよう、〇〇だったら・・・という心配を、「どんな展開にも対応する」という、子どもさんの心に寄り添う覚悟に変えられたら、実はずっと楽です。
敏感さ、繊細さが強く、新しい環境に対する不安が強い子どもさんに、次のような対応をされた例があるのでご紹介します。
・子どもさんが自分の意志で「ママ、もうこなくていい」と言うまで同伴した。
・休みたいと言ったら積極的に休ませた。
・子どもが嫌がる行事は回避させてもらった。
・園を辞めた(子どもの気質と、今通っている環境を、きちんと理解したうえで、辞めることが賢明であるという考えに至った)。
いずれもはじめは、
『社会や大人の都合・ペース』や『先生に迷惑がかかるのでは』
という意識と、
『子どもさんの気持ち・意志の尊重』
との間に生じるギャップで葛藤が生じていましたが、
子どもさんの気質と希望を見極めて選択されたことでした。
『ママ、ゆっくりゆっくりで大丈夫だよ』
自立や社会性は、本当はもっともっと大きくなって、自分の気持ちや考えを言葉で伝えられるようになってからで大丈夫なのです。
むしろ、幼いうちは社会性や適応能力を身につけることよりも、その子の好奇心に基づいた、自由意志による選択と主体性が保証されながら、その子の独自性(その子らしさ)を育てていくことのほうがずっと大切だと感じられることがたくさんあります。
子育ても、子どもの成長も、ゆっくりゆっくりで大丈夫。
そんな社会になったらいいなと思うのです。
たださすがに社会は変えられません。
迷ったときは、子どもさんが示すペースに合わせること、
それが一番シンプルな対応です。
さいごまでお読みくださりありがとうございました。
-書籍案内-
『ママ、怒らないで。』は、子どもの切なる願いであり、インナーチャイルド(幼い頃の自分)の願い。
不機嫌、イライラのルーツを知って、本当の自分らしい自分、自信やゆとりを取り戻す子育て・セラピー本を出版しています。